株式会社角間川

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旧荒川家

旧荒川家の詳細をご案内いたします

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旧荒川家とは

荒川家が角間川に定住した経緯は定かではありませんが、初代は勘四郎の二男である勘助(享保13年[1728]生)とされています。二代勘助(保助)は、弟の新右衛門と力を合わせて家業を大きく発展させ、一代で財を成しました。藩への貢献が認められ名字帯刀を許されるなど、藩の御用を務める大商人として名を馳せたと伝えられています。

八代勘之助は、第二次世界大戦後の農地改革といった困難な時期に家政を取り仕切る苦難を経験しましたが、円満な人格者として人々から慕われ、旧角間川町の町議会議員・教育委員、旧大曲市の教育委員などを歴任し、地域づくりに尽力しました。

家紋は「丸に三つ柏」です。

旧荒川家住宅概要

  • 現存する建物:主屋(大規模改修、一部減築)・内蔵・内蔵鞘屋(全面改築)
  • 解体された建物:主屋通り土間部分、外蔵など
  • 長年の居住利用がなかったため、建造物の経年劣化が著しく、公開にあたり大規模改修
  • 本通りからの景観維持の観点から、柱や梁などを保存しつつ、内部・間取りを大規模改修
  • 座敷部分を管理事務所・会議室・来訪者用トイレに改修
  • 建物内部は通常非公開、有料ガイドツアーでのみ内部見学が可能
旧荒川家フォト

◇ 旧荒川家建造物

(内蔵は通常非公開・有料ガイドツアーでのみ内部見学可能)

荒川家住宅および邸内の建造物は、長年居住に使用されていなかったため、経年劣化による損傷が著しい状態でした。公開にあたり、本通りからの歴史的景観を維持する配慮をしながら、主屋は柱や梁などの構造部を保存しつつ、内部の間取りを大規模に改修しました。特に座敷部分は、管理事務所、会議室、来訪者用トイレとしてリノベーションされました。通り土間部分は損傷が激しかったため一部を減築し、内蔵鞘屋は全面的に改築されました。また、老朽化の著しい外蔵などは解体されました。

一方で、内蔵は建築当時のまま保存されており、東面の黒漆喰や海鼠壁の腰壁、蔵扉の鞘飾りなど、豪奢な雰囲気を漂わせる優れた近代の土蔵建築です。内部も漆塗りで仕上げられ、質実かつ重厚な趣を伝えています。

旧荒川家建造物

◇ 旧荒川家庭園

(写真:縁側と庭)

旧荒川家主庭園は、改装された会議室の東側にあります。特徴的な景石や雪見灯籠が配され、アカマツなどが植栽された小規模ながら奥行きが感じられる平庭となっています。雁行型に配置された邸宅東側の縁側と庭園が一体となり、美しい景観を作り出しています。

旧荒川家庭園

旧北島家

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旧北島家とは

北島家は、江戸時代に越後(現在の新潟県)から角間川に移り住んだと伝えられています。移住後、最上屋勘兵衛(最上家)から妻を迎えて油屋を始めたとされ、後に酒造業も営むようになり、藩米や商い米を取り扱う商人となりました。

七代虎之助は、明治22年(1889年)の町村制施行に伴い、初代角間川町長に就任しました。その後、郡会議員、明治32年(1899)には県議会議員を務めました。また、九代北島震一氏は秋田市立美術館(現在の秋田市立千秋美術館)の館長を、その弟の北島精六氏は洋画家として中央画壇で活躍するなど、北島家は美術に造詣が深い家柄として知られています。なお、北島家の庭園も長岡安平によって設計されました。

家紋は「茶の実」です。

旧北島家住宅概要

  • 現存する建物:主屋・文庫蔵(内蔵)・外蔵・土塀蔵(裏門となる長屋門)・作業小屋
  • 解体された建物:米蔵(外蔵)
  • 主屋・内蔵・味噌蔵・水屋が一体として現存
  • 地主屋敷の典型的な構造を示しており、歴史的建造物として価値が高い
  • 内蔵は、三家の中で唯一の座敷蔵となっている
  • 建物内部は通常非公開、有料ガイドツアーでのみ内部見学が可能
旧北島家

◇ 旧北島家建造物

(建物内部は通常非公開・有料ガイドツアーでのみ内部見学可能)

現存する建物は、主屋、文庫蔵(内蔵)、外蔵、土塀蔵(裏門となる長屋門)、作業小屋の5棟です。米蔵(外蔵)は解体されましたが、主屋、内蔵、味噌蔵、水屋が一棟として残っており、三家に共通する地主屋敷の典型を示し、歴史的建造物として高い価値を有しています。特に内蔵は、三家の中で唯一の座敷蔵として貴重です。

旧北島家建造物

◇ 旧北島家庭園

(写真:縁側と庭)

旧北島家北座敷の東側に広がる主庭園は、アカマツの疎林と苔の緑の織りなす調和が美しい平庭です。足元には斑入りのクマササが植えられ、野趣あふれる雰囲気を醸し出しています。

この庭園も、本郷家や大仙市内の池田家庭園と同様に、長岡安平によって設計されました(設計図が現存)。明治40年代初めから中頃に作庭されたと考えられます。

旧北島家庭園