杜の浮き嶋
文化6年(1809)に荒川勘助・新右エ門兄弟が身延山七面大明神を勧請した神社があったと伝わります。今は愛宕町西側の田圃中、老杉と銀杏の足元に小さな祠があるのみで社はありません。残っている石碑には「伊那利大神」、「高億嘉美大神」と刻字されています。それぞれ稲荷と高龗(たかおかみ、オカミの字は、雨冠に口を三つ書いてその下に龍)の当て字で、高龗神は水の神様です。石碑の裏に文化6年(1809)秋建立と刻んであります。
この場所は戦後の耕地整備前はもっと小高く、辺りが洪水の時でも沈まず「浮嶋明神」の異名があったそうです。今でも田植えの頃、水が張られた時だけ浮嶋の姿を偲ぶことができます。月の明るい夜にバイパスから眺めてみてください。




