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26.角間川小学校布晒分校跡

角間川小学校布晒分校跡

歴史ある地名「布晒の里」

布晒は、『奥羽永慶軍記』に戸沢九郎盛安※が「大盾の渡しを越え、布晒の里を経て、阿気野を前にして陣を取り」沼館を攻めた、とあるこの地域でも古い集落です。戊辰戦争でも庄内軍の陣地になっています。以前は新角間川と呼ばれることもありましたが、角間川の本村よりも古くから人家のあった場所のようです。地名からは染物でも行われていたのでしょうか。

布晒には明治7年に雄東学校が設置され、木内・布晒・門ノ目の児童32名が通いました。後に布晒分校と改称、明治19年に一度廃止されますが、明治44年に再度設置、昭和46年3月に廃校となっています。

※戸沢盛安(とざわもりやす・1566生-1590没)は安土桃山時代の角館の豪族で、戸沢氏18代当主です。この記述は領地を接する小野寺義道との阿気野の合戦(1586)のことです。

角間川小学校布晒分校跡の場所