歴史ある地名「布晒の里」
布晒は、『奥羽永慶軍記』に戸沢九郎盛安※が「大盾の渡しを越え、布晒の里を経て、阿気野を前にして陣を取り」沼館を攻めた、とある、この地域でも古い集落です。戊辰戦争でも庄内軍の陣地になっています。以前は新角間川と呼ばれることもありましたが、角間川の本村よりも古くから人家のあった場所のようです。地名からは染物でも行われていたのでしょうか。
明治7年に門の目に雄東学校が設置され、木内・布晒・門ノ目の児童32名が通いました。その後、経費節約のためとして明治19年に一度廃止されています。町村制の施行(明治22年)など社会の変化があった後に少し間をおいて、明治44年4月1日に角間川小学校布晒分教場が設置されました。昭和31年11月30日に布晒分校新築落成式が挙行された記録があります。昭和46年3月24日に布晒分校廃校式が行われ、廃校となっています。
※戸沢盛安(とざわもりやす・1566生-1590没)は安土桃山時代の角館の豪族で、戸沢氏18代当主です。この記述は領地を接する小野寺義道との阿気野の合戦(1586)のことです。




